メールマガジン No131~140
★第131回 夏休みにお勧めの本 ★
7月31日 横浜で開催された「みなとみらいスマートフェスティバル」では
首都圏最大級25分間で約20,000発の花火が打ち上げられました。
当日は程良く風もありましたので、自宅付近の畑からは、遠目ではありますが
綺麗な花火を見る事が出来ました。
今年も、7月から猛暑続きの毎日です。皆様 熱中症等には、くれぐれも
お気をつけてお過ごし下さい。
今回は、『夏休みにお勧めの本』をお届け致します。
ここのところ、「全国の味噌」の説明を連続でしておりますが、今月は、
箸休め的に夏休みにお勧めの本の紹介です。
●がん 4000年の歴史 上下巻
ハヤカワ文庫NF シッダールタ ムカジー 著
米国でのがん治療の歴史を書いたノンフィクションです。
2010年のピュリッツァー賞受賞作。
一番の印象として、タバコの害に関して、明確な事実が出ていたのにも関わら
ず、曖昧な表現でしか有害さを表示されなかったことにより、タバコ産業の
強力な政界工作力が、良くわかりました。
食品業界に居る者としては、添加物関係における厳しさとは、比較も出来ない
ような話に感じます。規定内の使用量による添加物の被害は、今まで全くあり
ませんでした。
しかし、タバコの害が、明確に存在するのに、それを誤魔化してきたために、
添加物の害が疑われるようになっています。たばこ業界に比べて、食品業界は
政治献金や税金をそんなに納めていないから、力がないのでしょう。
さらに、がんは、平均寿命が延びるに従って、死亡原因の大半を占めていく
病気(若者は、あまり罹らない病気)らしく、若いうちに色々な病や事故や
戦争で、死んでしまっていた時代では、それほど大騒ぎすることは無かった
ようです。
それが、若くしての死亡要因が、解決されることによって(平均寿命が延びる
に従って)、死亡原因のトップに躍り出たようです。
また、がんの原因には、色々の物質や細菌が関係していて、しかも、転移を
繰り返すという正体不明の病気と思われて来ました。しかし、その後の研究で
人間の遺伝子にがんを発症する遺伝子が組み込まれていて、それが発動すると
がんになると言うメカニズムだと、わかりました。
それがわかるまで、ウィルス原因説を始めとする諸説の間での主導権争いが
ありました。原因がわからなくても、病気がある限りは、治療をしなければ
なりません。
がん細胞を殺すことは、普通の細胞にも大きなダメージを与えます。
がんは無くなったが、患者も亡くなったということになっていたようです。
著者新刊の「遺伝子―親密なる人類史」が、なにかで紹介されていたことを
目にして、検索したところ、同著者のこちらの方が興味を引いたので、先に
読みました。もちろん、この後に買います。読むのは、いつになることやら、
わかりませんが。
●桃太郎の誕生 柳田国男コレクション
角川ソフィア文庫 柳田国男 著
古代人は桃には魔を封じる力があると考えて居た、と思っています。
古事記や日本書紀の黄泉の国から追いかけてきたイザナミにイザナギが桃の
実を投げて逃げ切ったり、西遊記の孫悟空が桃の木の番人をさせられていたり
卑弥呼が居たとされる纏向遺跡(マキムク)で大量の桃の種が発見されたり
したことが、その根拠です。
桃太郎も、桃伝説からの物語、桃(魔を破る力)の化身が鬼を退治する物語
だと思っていました。しかし、そんな私の大局観のなく発展性のない小噺とは
比べ物にならないような広く高い視点での洞察を、柳田国男は、昭和5年の
段階でおこなっていました。
まず、日本全国の昔話を類型化した5大昔話に分け、そのうちの一つとしての
桃太郎の物語を説明しています。桃の効果は、種にあるのか、実にあるのか、
などというセコイ話には、なりません。
そこは、掘り下げても、意味は無いようです。
そして、柳田は、昔話を神話からつながっている話と考えて居たようです。
かなり以前に遠野物語を読んでそのままになっていましたが、今回久しぶりに
柳田国男に接して、偉大さの一部がやっとわかったように感じました。
個人的な柳田国男ブームが来そうです。
●21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考
河出文庫 ユヴァル・ノア・ハラリ 著
この著者は、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の著者です。本の中で、
「サピエンス全史」では、人類の過去について語り、「ホモ・デウス」は、
人類の未来について語り、この本では、現在について、語っています。
この著者の作品を読むのは、3冊目ですが、カール・ポッパーの反証主義の
考え方というか、社会の変化は、科学技術の進歩に連動するので、トレンドは
わかっても、それがいつ、どうなるかは、わからないと言う考え方に影響を
受けている。(これは、ポッパーの思想への個人的感想です。)と感じます。
ただし、この本は現在について語っているために、あえて21の項目に分けて
語っています。そこまで分けなくても良いように思えます。
未来は、ためらいながら近づき、現在は、矢のように過ぎ去り、過去は、
永久に静かに立っている。と言う言葉があります。
スマホ以降は、未来もみるみる近づいて来て、置き去られてしまいます。
この本が、一部で取り上げられたのは、プーチンがウクライナに侵攻しないと
書いてあり、それが大きく外れたことからです。この件について、情報元は
忘れましたが、ウクライナもユダヤ系なので、イスラエル人としてマイナスな
予言は、却ってプーチンを刺激するのでとの忖度があったのでは、と言われて
いました。
過去と未来を語った前2作に比べて、この作品がイマイチはっきりしないのは
現代人が現代について語っているからだと思います。
日々、雑音が多すぎます。それでも、新解釈の過去、それなりに明るい未来に
挟まれた混沌とした現在を良くとらえていると思います。
★第132回 全国の味噌「秋田味噌」「仙台味噌」 ★
8日にも東日本に接近し、上陸するおそれがある台風13号は、去年の台風
15号と同様に、特に注意が必要なのが「大雨」です。
ハザードマップで地域の災害の危険性や避難場所を確認したり、水や食料の
確保など、今日中に出来る備えを進めたいと思います。
一ヵ月空きましたが、再び、全国の味噌の説明を再開します。
今回は、『全国の味噌「秋田味噌」「仙台味噌」』をお届け致します。
③ 秋田味噌
秋田味噌は、赤色系の米味噌になります。
秋田味噌の名称は、明治43年に小玉合名会社が使用したと記録があるそう
です。
秋田味噌の製法は、「大豆を蒸篭で蒸かし(一昼夜竈にかけて大豆が褐色に
色付くまで蒸すのが良いとされている)臼で搗く。
別に麹と塩を合わせたものを混ぜ桶に入れ、密封して一年以上経て、熟する
のを待って食用とする。三年味噌と称して、三年経てば最も良いとしている。
大豆・麹各一斗・塩五升を普通とし、麹を多く塩を少なくするを上等とするが
塩三升が最小限であるとされている。」
(『日本醸造協會雑誌』第73巻第1号 味噌風土記秋田 小松三郎 1973年)
さらに、この記事によると、「戦前までの秋田では、味噌を農家はもとより
士家や町家でも自家で作った。」しかし、戦中戦後の統制期を経て、「昭和
36年に若手技術者の集まりである紫研会が全県下の自家醸造味噌の実態調査を
行い、秋田の風土に育ってきた秋田味噌を追求し、その長所を生かした工業
生産秋田味噌のパターン作りと標準仕込の基礎研究が続けられ、組合員工場の
レベルアップを図った。
昭和47年には、高級秋田味噌標準仕込要領が県醸造試験場指導のもとに紫研会
の協力で作成され、県産優良大豆を原料とする高級秋田味噌の生産が開始され
今日に至っている。」とあります。
秋田県は、米どころとして名は通っており、さらに大豆も味噌に適したリュウ
ホウと言う品種が多く栽培されています。
④ 仙台味噌
仙台味噌は、歴史も古く、日本を代表する赤色辛口米味噌です。
まず、仙台味噌の有名な逸話である秀吉の朝鮮出兵の際に、仙台味噌が腐らず
に味も良かったので、軍中で評判となり、名前が全国的に広まったとされる話
ですが、この話の一番の問題は、この時点で「仙台」という地名が無かったこ
とです。仙台は、関ヶ原の戦い以後に伊達政宗が青葉城と町を建築したことに
始まります。
いずれにしろ、朝鮮出兵で「伊達家」の味噌が、優れた味噌であることが、
広まったことには間違いないようです。
また、伊達政宗は、仙台領内の産業の改良と発展に力を入れたので、各地より
商人が集まって来ました。その中に常州の真壁郡から来た真壁屋市兵衛がいた。
豪商が軒を並べる繁華街の国分町に住み、「古人筆頭」の格と「古木」の姓を
与えられ、玄米百石の扶持を受けて藩の味噌御用を勤めていたが、1626(寛永
三)年に「仙台味噌」の看板を掲げて仙台味噌の元祖となった。(みそ文化誌)
江戸時代、諸藩では武器、軍用金、米、塩、味噌を城中に備蓄するのが習わし
であった。伊達政宗はそれを非常時に備えるばかりでなく、つねに城中の食糧
とするために味噌醸造設備を設けて「御塩噌蔵(おえんそぐら)」と称し、
真壁屋古木市兵衛が「御用味噌屋」の役割を果たした。
御塩噌蔵は、仙台藩城下絵図の比較によれば、1650年前後(正保~慶安年間)
に築造されたものらしい。(みそ文化誌)
この御塩噌蔵の制度は、江戸の仙台藩下屋敷にも設けられ、原料の米、大豆、
塩、さらに麹に至るまで仙台から船で品川鮫洲まで運び、大井町の仙台屋敷で
醸造して、江戸市中七か所の藩邸に常駐する勤番三千人余の士卒に味噌を給与
していた。当時の江戸で流行していた甘味噌は東北の武士たちの口に合わず、
辛口の郷里の味噌を望んで自家醸造することになったと言う。
やがてこの味噌の風味に優れていることを江戸市民が知り、入手を願う者が
多かったので、仙台藩二代忠宗の時代から一般にも払下げ、仙台味噌の名が
大いに広まったという。
安政年間(1855~60)の江戸切絵図「品川白金目黒辺之絵図」には仙台藩下
屋敷の位置に「仙台味噌屋敷」と記載されている。(みそ文化誌)
このように、江戸時代より赤色辛口米味噌として、仙台味噌の名前が全国区
となっていました。そのために、産地を宮城県に限らず、赤色辛口米味噌の
代名詞が、仙台味噌と呼ばれるくらいになりました。
宮城県以外の東北地方各県の味噌メーカーは、赤味噌の一般名詞になった
仙台味噌をある種の基準として捉え、仙台味噌より、麹を多くとか、
熟成期間を長くとか、色を明るくとかを強調することで、自らの味噌の立ち
位置を考えるようになったというのは、うがち過ぎな想像かもしれません。
仙台味噌は、地域団体商標に登録されています。
★第133回 全国の味噌「会津味噌」「越後味噌」 ★
10月7日 3連休の初日、男子バレーボールのパリ五輪予選東京大会が
国立代々木競技場で行われ、日本はスロベニアに快勝しました。
パリ五輪出場権を獲得し、開催国枠だった東京五輪に続く2大会連続の五輪
出場を決めました。
日本男子が五輪に自力出場するのは、2008年北京大会以来16年ぶりと
いうことで、2024年のパリオリンピックがとても楽しみです。
今回は、『全国の味噌「会津味噌」「越後味噌」』をお届け致します。
⑤ 会津味噌
会津味噌は、赤色辛口米味噌です。
江戸期編纂の会津風土記・貞享二年版には「甲賀町に味噌屋六軒」と記されて
おり、「会津みそ」の歴史は300年以上遡ります。
また、嘉永五年(1852年)に発行された「若松禄高名五副対」(当時の有名店
ランキング)に味噌屋の名前5軒、醤油屋の名前5軒が挙げられており、その中
には現在まで続いている蔵元もあります。
「会津みそ」は、盆地の厳しい気象条件の中で育まれた赤色辛口の米糀みそが
特徴でしたが、近年はまろやかな中辛口なども多く生産されています。
(特許庁 地域団体登録商標ページより)
また、会津味噌協同組合のホームページにも、以下の記載があります。
(前文と一部重複があります。)
味噌づくりが盛んな土地
奈良時代以前より東北の経済・文化の中心として栄えていた会津地方は、戦国
時代からその時代の有力大名が勢力を競い、江戸時代になると徳川幕府の二代
将軍秀忠の四男である保科正之(会津松平家)が当地を治めることになります。
その正之が江戸初期に編纂した「会津風土記」(1685年)に城内で味噌が作ら
れている記録があり、それが会津における産業としての味噌づくりと考えられ
ていますので、300年以上の歴史を有する味噌であるといえます。
名君であった保科正之のもとで城下も安定し、様々な家業が生まれるように
なった中で味噌づくりも定着し、幕末のころになると味噌づくりが盛んな土地
となりました。
「会津みそ」ブランド化の軌跡
会津みそのブランド化の歴史は古く、昭和37年に14社が参加し「会津味噌醸友
会」において、会津みそとしての統一した仕込みの実施、 統一した袋の製作、
物産展への参加、看板の設置などを展開したことが始まりです。
昭和43年には、「会津みそ」の共同製造販売を計画、 チャレンジしたことも
ありましたが、醸友会が親睦団体的な側面が強くなっていたことから、その後
再度後継者たちに呼びかけ「会津醸造倶楽部」を 発足させ、これが中心と
なって看板の設置・会津産大豆の協同仕入など、会津における味噌業界活動を
けん引して活動してきました。
平成18年に地域団体商標の制度が始まり、その申請要件が「法人格を持った
業界団体」と規定されたことを期に、任意団体であった会津醸造倶楽部を
「会津味噌協同組合」に改組し、地域団体商標を出願、登録されました。
現在、組合ではブランド管理を中心として、「会津みそ」の普及拡大に力を
入れています。
以上のことに付け加えるとすれば、個人的な考えですが、会津の地理的なこと
です。会津は、江戸時代以前から交通の要衝であり、日本海と太平洋、関東と
東北をつないでいました。そのことと、会津が盆地であることが、会津味噌に
影響を与えたと思います。
会津味噌は、前述の文章にあるように、地域団体商標に登録されています。
⑥ 越後味噌
越後味噌は、赤色辛口米味噌です。
味噌に少し詳しい人は、越後味噌と言うと、味噌汁にすると、麹の袋体が浮く
浮きこうじ味噌(粒味噌)をイメージします。
以下に、新潟県味噌醤油工業協同組合のホームページよりの抜粋を載せます
新潟県は、上越(上越市中心)、中越(長岡市中心)、下越(新潟市中心)
及び佐渡の4つのブロックに分かれており、それぞれが、歴史的、風土的に
異なった文化を持ち、味噌作りにおいても地域性があります。
上越タイプ
味噌汁に米麹の粒が、雪が舞うようにふわっと浮かぶ麹の甘味がすべて溶け
出し、袋状の麹のみが味噌汁に浮いた“浮き麹”として有名
色は淡赤色、香りが新鮮でさわやかな味噌です。
中越・下越タイプ
大豆による深みのあるコクと米こうじの自然な甘みが調和されていてすっき
りとあきのこない味です。
色は冴えた赤色、発酵・熟成による華やかな香りをもつ味噌です。
佐渡タイプ
佐渡の気候と技法により味噌桶の芯まで深く力強く発酵・熟成を行き渡らせ
ます。
それが独特な香りと重厚な味わいを醸し出しています。
赤(濃し)タイプがその代表です。
越後みその歴史
越後における古い時代の味噌醸造については、永禄7年(1565年)に上杉
謙信公が現在の千葉県に攻め入った際、当時の野田地方で発達していた味噌
の作り方を兵に習得させ、それを農民に広く伝えたという説があります。
味噌製造業としては、長岡市の(株)上州屋醸造所が越後における嚆矢
(こうし)※1といわれています。
徳川秀忠の時代の元和2年(1616年)に、上州大胡城主牧野忠成が越後の
地に入り、同4年(1618年)長岡藩主に移封の際、上州屋の先祖初代伝
兵衛が士分格として同行し、以後城主の糧秣(りょうまつ)※2確保などの
ため、保護を受けたといわれています。
越後には、村上、新発田、村松、長岡、高田などの城下町があり、そこには
伝統の古い業者が存在しますが、それらの多くは上州屋と同様に、城主に
保護されながら発達したといわれています。
城下町に根付き広まった、農家の自家醸造が現在の越後みそとして代々伝え
られてきた礎となっています。
※1 嚆矢:《昔、中国で戦いを始めるとき敵陣に向かって「かぶら矢」を
射たところから》物事のはじまり。
※2 糧秣:兵士の食糧と軍馬のまぐさ。
【出典】今井誠一「味噌礼讃」株式会社木戸製本所
越後味噌は、地域団体商標に登録されています。
★第134回 全国の味噌「加賀味噌」「江戸甘味噌」 ★
本日11月7日、関東甲信は暖かい空気が流れ込んで各地で夏日となりました。
東京都心では昼過ぎに気温が27.5度と、11月としての最高気温を100年ぶりに
更新するなど、季節外れの記録的な暑さとなりました。
今回は、『全国の味噌「加賀味噌」「江戸甘味噌」』をお届け致します。
⑦ 加賀味噌
加賀味噌は、赤色辛口米味噌の粒味噌というイメージがあります。しかし、
加賀味噌食品協同組合HPによると、「米麹と水分の割合が多く、塩分も高めで
コクがある」ことが、特徴の味噌となります。色や粒は、現在の加賀味噌には
制限とならないようです。
また同組合のHPでは、加賀味噌については、以下のように定義しております。
『加賀みそ』とはどのような味噌を指すのでしょうか?
一つには、加賀地方で生産された農産物(米・大豆)を使用し、加賀地方で
製造され包装された味噌を指すのが、確かに一番狭い意味での「加賀みそ」
なのかもしれません。
一方、古くから認知された特徴を備え、その地域で生産、加工および包装され
たもので、その呼称がよく使われているものも「加賀みそ」と呼ぶことができ
ます。一般的に知られている旧国名のつくものには、越後みそ、佐渡みそ、
讃岐みそなどがあります。
東京などで「加賀みそ」というと、昔ながらの田舎味噌で中に大豆の粒が
残った赤手の辛口の米味噌のイメージがありますが、地元ではどちらかと言う
と麹の多い白手の米味噌が今では主流になっています。弊組合でも10種類以上
の味噌を製造していますし、地域の中でもそれぞれに特徴のある味噌を製造
しており、これが「加賀みそ」という一つの特徴を言い表すことも難しいもの
です。
加賀味噌は、地域団体商標に登録されています。
⑧ 江戸甘味噌
江戸甘味噌は、茶褐色の米味噌で漉しの甘味噌です。
東京味噌工業協同組合のHPでは、江戸甘味噌の特徴として、以下のように
書かれています。
江戸甘味噌は光沢のある茶褐色で、深く蒸した大豆の香味と麹の甘みが
渾然と調和し「とろり」とした独特の甘みをもった江戸っ子好みの粋な味噌で
味噌田楽、どじょう汁といった江戸(東京)の料理に巧みに使われ人気を博し
ました。
といっても庶民の味ではなくどちらかといえば高級品でした。徳川幕府による
新開地であった江戸はさまざまな地方から人々が流入し、好みの味もそれぞれ
でしたが、やがて味覚の最大公約数として文化の先進地である、京・大阪の味
が「下りもの」として珍重されるようになります。こうして味噌も甘口が好ま
れ江戸甘味噌が誕生したのです。
江戸甘味噌は、塩加減、甘さ加減が京都白味噌と同じで、普通の辛味噌
(仙台味噌、信州味噌)に比べ麹は2倍,塩は半分の専門的には多糖少塩消化
型の米味噌で熟成期間は短く10日間程度です。一方塩分が少ないので変質が
早く、夏季には10日程しか保存出来ませんでした。従ってその製造は江戸市中
の味噌蔵に限られました。
麹をたっぷりつかった贅沢な味噌であること、そして新鮮さを命とするところ
が江戸っ子の気質に合ったのかも知れません。町民に愛された江戸甘味噌は
最盛期(江戸~大正時代)には東京の需要の60%をも占める商品でした。
全国的に見ると、甘味噌は、白系の関西白甘味噌、府中味噌、讃岐味噌が有名
であり、地域的には、明らかに、近畿地方の京都、大阪、兵庫、中国地方の
岡山、広島2県と四国の香川が、主産地となっております。
赤系では、江戸甘味噌のみとなります。生産地と消費地が、東京と限られて
いたために、太平洋戦争の統制による甘味噌の製造禁止、その統制が昭和26年
に解除になった後に西国の白甘味噌は、堂々と復活を遂げたのにも関わらず、
江戸甘味噌は、緩慢な復活にしかならなかったと思われます。
それは、江戸甘味噌の主たる消費地が、東京の下町と呼ばれる東部だったため
に、太平洋戦争末期には、強制疎開が行われて、東京大空襲にて多くの犠牲者
が出て、人口が激減しました。戦争直後、メーカーは原料不足で生産が出来ず
住民も激減したところに、地方より多くの人が流入して、地方の味噌を持って
きたために、江戸甘味噌は、一部の老舗の料理店でしか使われない味噌となり
ました。
しかし、東京味噌組合が中心となり、広報活動を行い、地域団体商標を取得
したことにより、江戸甘味噌の名称が広まっていきました。
さらに、江戸甘味噌の特徴の内の2つが評価されて、今までとは、違う料理に
使われるようになりました。その特徴とは、甘味噌であることと、香ばしい
大豆の香りです。
まず、味噌は、他の調味料と合わせて使った場合、ある程度の量が含まれて
いないと味噌の風味がしないという性質があります。そこで、辛口味噌の場合
は、味噌の持つ塩分が他の調味料と合わせた場合に影響して、味噌の風味を
出すまでの量を入れられないことがあります。
その点、甘味噌は、塩分5%程度と辛口味噌の半分以下なので、塩分への懸念
が小さくなり、味噌風味が味わえるようになります。
同様に、香ばしい大豆の香りも、味噌風味を強調することとなります。また、
味噌汁は、何度も加熱をすると味噌の香りが抜けてしまいますが、江戸甘味噌
の場合は、特殊な仕込方法により、比較的その香ばしい香りが抜けにくくなっ
ています。
以上のように、江戸甘味噌は、料理に使われています。
代表的なものを挙げると、味噌ラーメンの素、肉の加工関係、隠し味としては
デミグラス・ソース、カレーとなります。
江戸甘味噌は、地域団体商標に登録されています。
★第135回 全国の味噌「信州味噌」「東海豆みそ」 ★
早いもので師走を迎えました。
とうとう今年のカレンダーが、最後の一枚となってしまいました。
御多忙の折ではございますが、お体に気を付けて良き新年をお迎えください。
今回は、『全国の味噌「信州味噌」「東海豆味噌」』をお届け致します。
⑨ 信州味噌
信州味噌は米麹と大豆でつくる代表的な「米味噌」で、淡色で辛口を特徴とし
ます。
鎌倉時代、心地覚心(しんちかくしん)が、自身が創建した安養寺(長野県
佐久市)でみそ作りを広めたことをはじまりに、戦国時代には武田信玄が兵糧
としてみそを作らせたことで、信州の地でみそ作りが盛んに行われるように
なりました。
1923年、関東大震災において首都圏で多くのみそ蔵が被災。長野県では、製糸
業が衰退をみせて、その製糸工場の空いたスペースを味噌蔵にしたことが発端
であるとされています。
被害のなかった信州からみそが救援物資として送られると首都圏市場で好評を
博し、信州味噌は急速に発展拡大していきました。
現在は、日本全体で生産・消費されている味噌のおよそ5割を「信州味噌」が
占めています。
長野県味噌工業協同組合連合会のHPによると、以下のようにされています。
信州味噌の特徴
産地 長野県味噌工業協同組合連合会加盟の味噌メーカーにより、長野県内で
製造されている味噌のことを「信州味噌」と言います。
原料 味噌は麹の種類によって、米味噌、麦味噌、豆味噌などに分かれます。
「信州味噌」は米麹と大豆と塩を原材料とする代表的な米味噌です。
色 「信州味噌」は光沢のある冴えた山吹色(淡色)が良質とされます。
味・香り 「信州味噌」は酵母と乳酸菌の働きにより、さっぱりとした旨味と
豊かな芳香を併せもつ辛口味噌です。しかし、最近は甘いみそが好まれるため
乳酸菌を使用するなど、各メーカーが時代のニーズに合わせて少しずつ風味や
味を進化させています。
と書かれております。
「信州味噌」と名乗るためには、長野県の味噌組合に加入していることと、
長野県内で製造された味噌であることの双方の条件を満たしている必要があり
ます。
この規格は、長野県産の味噌生産量が1951年に62,718tで全国1位の生産量と
なり、第2位の東京都の二倍以上となりました。その頃には、長野県以外の
生産品で信州みそを名乗る味噌が、売られるようになりその防衛策として、
団体標章「信州味噌」の登録を試みました。そのことは、全国的な反響を巻き
起こしたそうです。
その理由は、主として2つあり、信州味噌は、普通名詞化していることと、
信州産と同じ原料と製法を用いた味噌の品種表示だと言うことでした。それを
根拠として、10以上の各県味噌組合が、異議申し立てを行いました。
この対立は続きましたが妥協に至り、1955年1月に特許庁の許可を得ました。
さらに1963年には、商標登録の許可を得て、名称の完全な法的保護を確立しま
した。
信州味噌と名乗るための規格も大切なことですが、特徴として「各メーカーが
時代のニーズに合わせて少しずつ風味や味を進化させている。」と書かれて
いることも重要なことと思います。
信州味噌は、戦前は、わずかに酸味をもつ赤系淡色辛口の米麹味噌でしたが、
特に戦後以降は、山吹色の淡色と変わって行きました。
現在も、淡色から中間色までの色調の信州味噌が、市場には見受けられます。
⑩ 東海豆味噌(愛知・三重・岐阜)
東海豆味噌は、その名の通り濃い茶褐色の豆麹を原料とした味噌になります。
最大の特徴は、原料が大豆と食塩のみであることです。地域的に日本有数の
穀倉地帯の濃尾平野であるために、米麦は、乏しい状況ではないが、気候的に
高温多湿となるために、味噌が酸敗しやすい環境のために、米味噌や麦味噌で
はなく、豆味噌が主たる味噌になったと言われています。
さらに、尾張徳川家の保護によることも挙げられます。
(新・みそ技術ハンドブック)
豆味噌の色は濃い茶褐色で、味噌の種類の中ではやや固めです。
香りにおいては、他の味噌に見られる芳香は少なく、大豆麹からくる特有な
香りを持っています。味は、旨味が強く、濃厚でやや渋みもあります。
他の味噌に比べて香りや味に特徴があるので、地方色の強い味噌と言われて
います。(新・みそ技術ハンドブック)
豆味噌は、八丁味噌と呼ばれることもありますが、これは、徳川家康が居城
としていた岡崎城から、八丁の距離に味噌屋があったために、そのように
呼ばれたことが始まりであり、その名前が全国に通用するのは、明治末から
大正のことです。
平成から令和にかけて、八丁味噌の名称等に関しては、愛知県内のメーカー
による調整が行われており、規格等については、いずれ明確になると思われ
ます。
また、赤だし、もしくは、赤だし八丁味噌と呼ばれる味噌を目にしたことが
あると思います。全国的には、豆味噌と米味噌の調合味噌を表します。
しかし、地元である東海地区では、赤だしは、豆味噌にダシを入れた、だし
入り味噌を示す場合があります。
★第136回 全国の味噌「関西白味噌」「府中・広島味噌」「瀬戸内麦味噌」★
皆様、新年あけましておめでとうございます。
昨年は、ご愛読いただきましてありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今回は、『全国の味噌「関西白味噌」「府中・広島味噌」「瀬戸内麦味噌」』
をお届け致します。
長期にわたり、全国の味噌について説明をして参りましたが、今回を含め、
後2回で、日本全国の味噌の紹介を完了します。
⑪ 関西白味噌
関西白味噌は、白色の甘味噌の米味噌です。甘味噌の特徴は、麹歩合が高く、
塩分が少ない分解型の味噌となります。白甘味噌とも、呼ばれています。
着色を抑えるため、精米度を高くし、大豆は脱皮したものを用い、蒸さずに
煮ます。短期熟成型のみそで長期保存には向きません。
“白みそ”といいますが、実際はクリーム色に近い色あいです。
白甘味噌の範囲は、滋賀県、京都府、大阪府から、兵庫県、岡山県、広島県
山口県の瀬戸内海沿岸と香川県に広がっています。
その内、広島県の府中味噌と、香川県の讃岐味噌は、歴史的に特徴のある
味噌なので、別の章を設けて説明をします。
白甘味噌の漉し味噌は、すり味噌とも呼ばれ、味噌のきめを細かくするために
特殊な味噌漉し機を使っています。主に味噌汁や酢味噌、黄味味噌等の料理に
使われます。
また、白甘味噌の粒味噌は、魚の西京漬(有名な物は、サワラの西京漬)に
使われ、粗(あら)味噌と呼ばれています。
西京味噌と言われることが、多い味噌ですが、西京味噌は、現在、一般名称と
なっています。そのため、西京味噌には、明文化された規格は、ありません。
⑫ 府中・広島味噌
府中・広島味噌は、白色の甘味噌の米味噌です。
関西白味噌の一種と言えますが、以下のような歴史的な背景があるために、
独立した分類となっています。
備後国府の地、府中市は中国山地の豊かな自然に恵まれて、古くから醸造の
盛んな地でした。
江戸時代中期、零細な家内製造だった味噌を、商品として企業販売ルートに
のせた最初の人は、元和二年(1616年)府中の豪商・木綿屋の当主、大戸
久三郎であったと言われています。
しかし当時の流通機構からみて、いかに優れた産物でもそれが全国的な販路を
得るためには、特殊な条件が必要なはず、府中にはそのための様々な条件が
揃っていました。
府中は山陽道から出雲道への要衡の地で、諸国人の出入りが多く、それらの
旅人のみやげ用として郷里に持ち帰られたことと、地場産業の業者が取引先へ
進物として用いたことです。
さらに決定的な販路拡大の要因は、諸国諸大名の口コミでした。
大戸久三郎から白味噌を献上された福山藩主水野公は、その絶妙な味を賞し
参勤交代の道中、山陽道、東海道の道筋の諸大名に白味噌を贈呈しました。
諸大名はその味を賞讃し府中味噌を競って注文。
かくして「府中に味噌あり」と、当時の特権上流階級を中心に全国に名を馳せ
今日の名声の基礎をつくったものでした。(府中味噌協同組合HPより)
⑬ 瀬戸内麦味噌(愛媛・山口・広島)
瀬戸内麦味噌は、瀬戸内海に面した3つの県で作られている麦味噌です。
九州に地域的に近いこともあり、性質的に近い味噌となっています。
こちらの地域は、米味噌と麦味噌が交差するような地域であり、特に九州の
ように麦味噌が主流となっている地域とは違うために、九州麦味噌とは、違う
区分になっています。
淡色系の甘口の麦味噌が多く見受けられます。
海を越えて同じような味噌を共有する地域となり、全国でも珍しい形になって
いますが、瀬戸内海の海運でのつながりが強いことが、その要因の一つに考え
られます。
★第137回 御膳味噌、讃岐味噌、九州麦味噌 ★
関東地方は、今日13日、日差しがたっぷり届き、春本番のような陽気です。
更に15日は南風が強まり、東京都心や横浜で20℃まで気温が上がる予想も
出ています。
ただ、週末にかけては北風が吹き、気温が急降下するなど、この先 日々の
気温差も大きくなりますので、体調管理にはくれぐれもご注意下さい。
今回は、『全国の味噌「御膳味噌」「讃岐味噌」「九州麦味噌」』をお届け
致します。
長期に渡って掲載をしてきました『全国の味噌』ですが、地域ごとに
16種類に大きく区分しての説明は、今回にて最終回となります。
⑭ 御膳味噌
江戸時代に当時の阿波藩主、蜂須賀公の御膳に供されたところから、
この名があります。塩分は辛口みそと同じくらいですが、米麹歩合も高く、
豊かな味わいが特徴です。
徳島県味噌工業協同組合のHPによると、御膳味噌の特徴は、他の地域のみそに
比べて主原料(大豆と米)のうち米の使用量が多く、うまみとあまみが強い
こと。さらにみそ酵母の発酵によるさわやかな香りがあることが特徴です。
江戸時代、阿波藩で盛んであった藍作りの裏作として、良質な大豆が栽培され
るようになりました。合わせて鳴門では製塩業が発達して高い品質の味噌の
原料が入手できるようになりました。
こうして、徳島に味噌作りを商工業的に発展させられる環境が出来上がったの
です。
御膳味噌は、現在、徳島県味噌工業組合の登録商標で、組合員事業者によって
のみ作られています。
米味噌で、かつては赤味噌が主流でしたが、現在は赤味噌と白味噌の両方が
あります。
⑮ 讃岐味噌
讃岐味噌は、白色の甘味噌の米味噌です。関西白味噌の一種と言えますが、
以下のような歴史的な背景があるために、独立した分類となっています。
「みそ文化誌」によると、四国に京都風の白味噌が伝わったのには二説が
あり、一つは平安時代の保元の乱(1156年)で敗れた崇徳上皇が讃岐に流され
たときに白味噌料理を所望して里人に作らせたのが始まりと言う。もう一つは
皇室の領地であった讃岐国志度の地が京都の寺院に寄進されたことから、
白味噌の製法がこの地に伝えられたという。とあります。
また、讃岐味噌は、味噌汁にすることは少なく、白身の魚を味噌漬けにする
などと、もっぱら料理用に使われている。
2023年1月31日に地理的表示(GI)保護制度に基づく保護対象に登録されました。
温暖少雨な気候により、白みそ原料(米、大豆及び塩)の生産が盛んだった
ため、地元農家による自家製白みそが作られ、商業生産の基盤が古くから形成
されています。
また、古くから香川県の多くの郷土料理に欠かせない食材で、関西圏の白みそ
雑煮の原料としても好評を博しています。
しかし、讃岐味噌と名称が付いたのは、戦後のことで、香川県内全ての味噌
製造業者の参加する組合が1950年に設立されると、舟運の便が良く人口の多い
関西市場で甘口の白味噌の需要が強いことを考慮し、讃岐米を活かした高価格
帯の白味噌生産を目指す取り組みが始まりました。
組合を通じて原料の共同購入および技術開発を行って仕込の規格を統一すると
ともに、四国外への出荷については組合ブランドのみにレーベルが統一されま
した。
四国の味噌は、香川県の讃岐味噌、徳島県の御膳味噌、愛媛県の瀬戸内麦味噌
と、狭い範囲で、種類が違っています。大きな共通点としては、甘口の味噌で
あること、それ以外の共通点は、ほぼありません。それは、四国が地形的に
中央に山脈が通っているために、陸の交通よりも、海の交通が盛んであり、
それが大きな影響を与えていると考えられます。
⑯ 九州麦味噌
九州は、全国でも珍しく麦味噌が消費量の大部分を占めている地域です。
ただ、近年は、米麦合わせの割合が、徐々に上昇しています。
麦味噌は、大麦、もしくは、はだか麦を麹として、製造します。大麦は、皮麦
とはだか麦に分かれ、それぞれが二条種と六条種に分かれています。二条種が
大粒、六条種が小粒となっています。また、もち種とうるち種に分かれ、味噌
には、うるち種が使われます。
塩分については、10%~11%が主流ですが、標準的な範囲は8%~12%との間と
なっています。その分布については、若干、南部では塩分が少ないように
見受けられますが、九州内の地域による違いは、際立っては、ありません。
また、色についても、淡色、中間色、赤色とメーカーによって、バラエティに
富んでいます。
麦味噌の特徴は、粒味噌の場合、大麦のフンドシを呼ばれる縦溝部があり、
その部分が糖化により溶けにくいために残っており、それが米味噌との違う点
です。また、独特の香りを持っていることも、特徴となります。
最後に
今回、『全国の味噌』として、16種類の味噌を地域と言う切り口で分類して、
説明をしました。
日本列島を詳しく見て行けば、数えきれないとは大げさですが、今回紹介した
16種類の数倍にあたる種類の味噌が見つかると思います。
今回は、分類し直すと言う手間が掛かり、例外が続出して収拾が着かなくなる
かもしれない作業を割愛させていただきました。分類から始めて居たら、書き
始めることが出来なかったと思います。
その理由は、文中にも書きましたが、それぞれの味噌の性質が、時代により
変化することです。その理由は、トレンドの変化です。長期の大きなトレンド
としては、塩分が少なくなっていることと麹歩合が高くなっていることだと
思います。色やpHは、濃くなったり、薄くなったりです。
話は戻りますが、今回の16種類の分類は、みそ健康づくり委員会の冊子
「新・みそを知る」の分類に基づいています。この分類については、業界内で
言いたいことのある人は、居るとは思いますが、私は、妥協の産物ではなく、
ほぼ妥当な分類だと思います。細かいところを突けば、問題が無いわけでは
ありませんが、そこを追求すると、全体のバランスが悪くなってしまいます。
最後の最後になりますが、2020年代の味噌業界の生産量を見ると、米味噌が
全体の80%の生産量、長野県一県だけで半分以上の生産量という、数字になっ
ています。そのような傾向が続いて行くと、この16種類もその内の幾つかが、
かつてはあったが今は…。と言う「幻の味噌」となることでしょう。
★第138回 読書の話し ★
毎年悩まされる花粉症のシーズンになってまいりました。感染症もなかなか
落ち着かない中で、むやみに目や鼻を触ることも出来ず、辛い毎日です。
今週末までは真冬の寒さが続くようですが、来週の後半から春本番の陽気で
花粉の飛散もピークになるため、万全の対策をして今シーズンを過ごそうと
思います。
今回は、『読書の話し』をお届け致します。
関連する読書の話し
先日、新横浜の有隣堂を覗いたら、立花隆「サピエンスの未来 伝説の東大
講義」(講談社現代新書)が目につき、仕入れて読みました。ここのところ、
同じ本を二冊買うことが続いて、それを防ぐためにア〇〇ンで仕入れること
が多かったのですが、見かけた有隣堂で仕入れました。
というのも、昨年、同地の三省堂が閉店したときに、地元に本屋が無くなる
と言う恐怖と寂しさを味わったため、その跡地に開店をしてくれた有隣堂には
駅の利用のついでに立ち寄ることとして、良さげな本があったら即仕入れてい
ます。
その本は、東大での立花隆の講義録という題名だが、実際はそれに基づいた
新たな著作となっているようです。弟子と自称する人の前書きによると実際の
講義に多くの増量があったようです。その中で、テイヤール・ド・シャルダン
(イエズス会の司祭であり、また科学者として北京原人の発掘に関わった)の
著作を数多く引用して、人間(サピエンス)の進化について、語っています。
サピエンスと言えば、ユヴァル・ノア・ハラリの三部作が連想されますが、
立花隆の方が遥かに早かったと思います。(本の内容は、どちらも素晴らしい
内容で、使い古した表現ですが、目から鱗です。)AIの存在さえなかった時代
なので、それを「人は機能を自らの身体を進化させることではなく、身体の
外部に道具として機能を進化させる。」と言うような意味のことが、書いて
ありました。
確かに、馬のように速く走るために身体を変化させたら、それ以外の身体機能
を捨てることになります。それよりはオートバイなり、自動車を道具として
使えば、早く走るという機能を獲得して、捨てるものはありません。
この本の中で、ジェームズ・ラヴロック「地球生命圏: ガイアの科学」も基本
となる書籍として挙げられていました。
検索してみたら、工作舎「地球生命圏 新装版」として、改版新装されて発行
されていたので、早速仕入れました。
その内容としては、地球に様々な生命があるから、穏やかな環境にある。
地球自体が一つの生命体ではないのか。という理論(ガイア理論)であり、
1984年発行であり、その当時の環境カルトの輩がつまみ食いして、一部分を
吹聴していた記憶があります。
しかし、読んでみると、非常に論理的な組立により話が進んでおり、
切り取り方でエキセントリックなトンデモない話になるように思いました。
ただ、本の刊行当時にどんな使われ方をしていたかは、忘れました。
あえて言えば、環境カルトの人たちは結論ありきで、そこに至る理屈を切り
貼りして盛って、作り上げる人たちだと思っているので、その屁理屈を忘れた
としても、気にもなりません。
ガイア理論を裏付けるために、鎌田 浩毅「地球の歴史」上中下巻を引っ張り
出してきました。この本は、地球温暖化の原因がCO2なのかを確認したくて、
手に入れた本です。その目的を忘れるくらい、読みだすと内容の素晴らしさに
感動しました。
ガイア理論に関係する所に限って読んでみると、地球に生命が誕生して繁殖し
たから、地球環境が良くなったのではなく、環境が整ったから生命が誕生した
のでしょう。
私の独自の解釈ですが、エベレストの頂上からマリアナ海溝の底(対流圏から
海底)まで生命に溢れていても、厚みは合計20㎞弱です。
地球の半径は6,400㎞で、生命の範囲は0.3%の厚みでしかなく、リンゴの皮よ
りも薄いかもしれません。
ただ、狭い範囲でのバランスでいえば、生命が誕生した時が偶然良いバランス
で、火星や金星は良い環境を維持できずに岩石惑星になってしまった。
地球は、生命が繁殖することによって、良いバランスが保たれた。ということ
ではないかとも思います。
(リンゴの皮が無ければ、リンゴはすぐ萎びて腐るように)
さらに、トンデモない思い付きを申し上げると、温室効果ガスの二酸化炭素の
空気中の割合が0.41%しかないのに、温暖化に強く影響を与えると言われてい
ます。妙に数字が近いのが気になります。
ただ、それより空気中の酸素濃度について書いてあったことが気になりました。
それは、現在空気中の酸素濃度21%弱で、これが増えると発火の可能性が上が
ることです。枯れ木が自然発火しやすくなるようです。地球の歴史の中でも、
酸素濃度が30%を超える時期があったようですが、その時期ではまだ、地上に
生物が進出して居なかったようです。
今回の話は、冒頭の立花隆「サピエンスの未来 伝説の東大講義」の物語の
展開方法を真似て、連想する話について申し上げました。
最後にですが、テイヤール・ド・シャルダンの業績である北京原人の発掘の
件で、興味を引かれたことがありました。現在、北京原人の骨は、日中戦争の
ドサクサで行方知らずだそうです。これに関するテレビの特番でも組まれない
でしょうか。
★第139回 米味噌の甘さについて ★
今年は桜の開花が昨年よりやや遅く、ようやく近所の公園では「5分咲き」に
なりました。
来週は近隣の小中学校でも入学式が行われます。満開に近い桜と一緒に素敵な
記念写真が撮れそうです。
今回は、『米味噌の甘さについて』をお届け致します。
米味噌の甘さについて
味噌業界では、麹歩合(大豆の乾燥重量を10として、麹の元の穀物の乾燥重量
を示す)の高く、塩分の少ない(5%程度)味噌を甘味噌と区分しています。
なぜ、甘味噌かと言うと、塩分が少ないことが、第一の理由だと思いますが、
味噌の麹の甘さを感じることも、その理由だと思います。
この後の話は、米味噌限定の話とさせていただきます。
まず、味噌の甘味は、何が元となるのか。それは、原料の米と大豆の成分に
なります。その成分の中の炭水化物が、甘味に影響を与える元となります。
ざっくり炭水化物と言っても、物質により甘い物質から全く甘くない物質まで
あります。炭水化物は、大きく糖質と食物繊維に分かれます。
食物繊維は、全く甘くありません。また、糖質でも、デンプンは、全く甘く
ありません。これは、水に溶けないからです。デンプン以外の糖質は、程度の
違いはあれ、甘いです。
甘い物質の代表は、砂糖(ショ糖)です。砂糖は、ブドウ糖と果糖が1対1で
結合されたものです。砂糖の甘さを100とすると、ブドウ糖は60~70、果糖は
100~120になります。また、果糖は温度が低いときが甘いそうです。
米(精米)の成分の77.1%が炭水化物です。ただ、この数字は、水分の15.5%
を入れて100%にする計算の内の77.1%なので、水分を除くと90%以上が炭水
化物です。そして、その大部分がデンプンです。前述のようにデンプンは、
全く甘くありません。
炊いたご飯を噛んでいると口の中で甘くなる。と言う経験をしたことは、あり
ませんか。これは、唾液に含まれるアミラーゼ酵素が、ご飯のデンプンを分解
して甘味のある物質にするからです。
デンプンは、ブドウ糖が繋がって出来ている物質なので、逆に言うと、ブドウ
糖が組み合わされた物質しかできません。
デンプンからブドウ糖は出来ても、果糖は出来ないので、デンプンから砂糖は
作れません。分子式で表すとブドウ糖も果糖もC6H12O6で、材料は同じです。
ただ、豚肉とジャガイモとタマネギとニンジンを使っていても、肉ジャガと
カレーくらい違う料理になるような違いが出ます。
デンプンから出来る甘味は、麦芽糖とブドウ糖です。麦芽糖はブドウ糖が二個
つながったものです。ブドウ糖は単糖、麦芽糖は2個なので二糖と呼ばれてい
て、三個以上はオリゴ糖と呼ばれています。麦芽糖の甘さは40くらいです。
かつては、二個以上をオリゴ糖と呼んでいましたが、いつの間にか三個以上に
なったようです。
大豆の炭水化物は30%程度です。水分は12.5%です。大豆の炭水化物の殆どは
食物繊維ですが、味噌の原料の蒸し大豆をつまみ食いすると、ほんのり甘さも
感じます。
分析上の炭水化物としては、シュクロース、スタキオース、ラフィノースの
オリゴ糖と、アラビノガラクタン、ペクチン、セルロースが多糖類として挙げ
られます。(ペクチン、セルロースは、食物繊維です。)
したがって、最初に申し上げたように、米味噌の甘さのほとんどは、米麹から
来る甘さとなります。また、その甘さもブドウ糖や麦芽糖の甘さなので、砂糖
に比べて穏やかな甘味となっています。
また、甘味噌と辛口味噌に砂糖で甘味を加えた味噌とでは、想像した以上に
味が違います。
甘味噌は、米の使用量も多くて原料原価も高く、低塩分で発酵させるために
色々な技術も必要ですが、辛口味噌との使い道が全く違うので、存在意義は
大いにあると思います。
最後になりますが、紅麹のトラブルが報道されています。現在は、様々な情報
が飛び交っており、その真偽の裏付けを取っています。
現段階で言えることですが、今回の問題は、紅麹の毒性の問題ではなく、製造
会社の品質管理の問題です。そこだけは、ご理解頂きたいと思います。
繰り返しになりますが、原因は、紅麹発生の毒物ではなく、毒物の混入だと
思います。
★第140回 甘い味噌の始まり ★
今年のゴールデンウィーク後半は、広く行楽日和となり、お出かけに最適な
お天気になるようです。
明日5月3日、横浜では「第72回 ザよこはまパレード」が開催されます。
60団体 約2600名による盛大なパレードです。あいにく時間の都合がつかず
現地での観覧が難しいので、テレビ神奈川の生放送で楽しみたいと思います。
今回は、『甘い味噌の始まり』をお届け致します。
味噌は、麹の割合が多くすると塩の量を少なくすることが出来て、甘い味噌に
なります。
なぜ、麹が多いと塩分を下げることが出来る理由は、水分活性の面から説明し
ます。
水分活性とは、何とも結び付いていない自由な水がどれくらいあるか。それが
多いほど、微生物や細菌が繁殖しやすい環境にあると言うことです。例えば、
飽和食塩水(これ以上、水に食塩を限界まで溶かした水)は、水分活性がゼロ
です。
もちろん、飽和砂糖水の水分活性もゼロです。味噌の水分活性は、0.7くらい
とされています。それでも、腐敗しにくい食品(保存食)になっています。
全ての生物は、外界と自分を膜によって、区切っています。細胞膜です。
細胞膜の内側が、濃いので、外部から水が入って(浸透して)来ます。
これが、外側が濃くなると、細胞膜の内側から外側に水が移動するので、
生物は脱水症状になり、最終的には死滅します。だから、細胞にとっては、
外部より少し内部が濃い状態が、必須の生存条件になります。
話が逸れましたが、甘味噌の場合は、仕込んで直ぐの状態では、水分活性が
高くなっています。それは、原料の米(麹)のデンプンが分解されていない
ためです。デンプンは水に溶けないので、水分活性が高くなります。
デンプンを分解するために、仕込みの温度を高くして(45℃以上)、米麹の
アミラーゼを最大限に活動するようにします。酵素の働きで、デンプンが
分解されて、水溶性の物質(デキストリン、マルトース)になり、水分活性
を低下させます。
以上のようなことから、甘味噌は、デンプンの分解が進むにつれて、デキス
トリン→マルトース→グルコースとなり、より甘い物質となるため、甘く
なります。塩分が低いだけでなく、甘味成分が多い味噌となります。
これが、化学的な甘い味噌の始まりです。
甘味噌と言えば、米味噌の分類の一つになっています。
他の味噌では、どうかと言うと、豆味噌は、大豆麹と食塩のために、塩分を
下げることは、水分活性を上げることになるので、ほぼ不可能です。
さらに、大豆の炭水化物は、米に比べて少ないので、甘味も出しにくくなり
ます。
しかし、麦味噌は、大麦の炭水化物含有量が約75%と米と変わりません。
したがって、麦味噌でも甘味噌を作ることは出来ますし、実際、20歩麹の
麦味噌も存在します。
しかし、麦味噌は、現在では全国の生産量の5%しかなく、米麦合わせも5%
と徐々に米麦合わせの生産量が増えている状態です。全国の味噌生産量を
ざっくり40万tとして、その5%は2万tであり、麦味噌は、そこから更なる
分類を建てることも無いように思われたのかもしれません。
また、麦味噌に甘味噌の分類の無い理由としては、米みその甘味噌は、塩分
が少なく甘味があることが第一の特徴ですが、続いての特徴として、特に
白味噌は、キメの細かい滑らかな味噌(擦り味噌)ということがあります。
ついでに、同じ白味噌でも、擦って(漉して)いない味噌は、粗味噌といっ
て、魚の西京漬等に使います。
滑らかなので、加工味噌のベースとして、酢味噌や玉味噌(こちらは卵黄を
混ぜた味噌)や田楽味噌、少し変わったところで、蓼味噌、山椒味噌と色々
と使えます。
残念ながら、麦味噌は、大麦に黒条線(業界ではフンドシ)があるために、
漉し味噌にしたとしても、均一な滑らかさにならないために、加工味噌の
ベースとして、あまり使うことはありません。
そのために、甘味噌と言えば、米味噌の一択になったかもしれません。
甘味噌の特徴として、さらに上げられることは、塩分が少ないために、他の
調味料と合わせて使っても、味噌らしさを出していけることです。
それは、味噌の閾値(いきち)が高いことに寄ります。調味料関係での閾値
とは、それが味噌味だったり、醤油味だったり、認識する値を示します。
味噌は、醤油に比べて多くの量が無いと味噌味と認識されないので、閾値が
高いとされます。たとえば、醤油を塩分1%になるように水で薄めた水溶液
(A)と味噌を同様に塩分1%に薄めた水溶液(B)を準備します。
この両者に塩分1%の塩水を加えて行きます。どこまで、塩水を加えたら、
醤油らしさ、味噌らしさが、わからなくなるかによって、測定します。
一般的に、醤油は、沢山の塩水を加えても、醤油らしさを失いません。
それは、閾値が低いことになります。
閾値の高いとされる味噌は、ある程度の割合が無いと、味噌らしさを発揮
できません。別の言い方をすると、少し加えても(混ざっていても)、味噌
が入っているとは、わかりにくいので、隠し味に向いているとも言えます。
今月は、甘味噌の話が脱線し過ぎて、申し訳ありませんでした。
甘い味噌の歴史的な始まりについては、来月にお話します。

